新春デクレア
「あ、先輩先輩……こっちですよ!」
そう言ってはしゃぐシンの指差す先にあるのは、我が目を疑うほどの長蛇の列だった。
無理もない、正月というものは得てして皆同じ行動に走るものなのだ。
年越しから一夜明けた今日、俺とシンは折角遠出したのだからと、
旅館から程遠くない神社へ足を運んでいた。
荷物は出発までクロークで預かっていてくれるということだったから、
心置きなく観光を楽しめるという訳だ。
シンが自分で持つにしても、あれ程大きな荷物を提げた人間を
連れて歩くのは精神的に疲れるだろうからな。
ともかく、シンが指差したのは、神社の本殿へ向かう長い坂道の上に出来た列だった。
この先に参拝所があるらしいのだが、ここからはまだ良く見えない。
坂の両側には出店の類いのものが隙間なく詰め込まれていて、
ここへ来てからまだ一時間と経っていないはずなのに、
シンの両手には抱え切れない程の食べ物が掴まれていた。
たこ焼き、焼きそば、りんご飴、フランクフルト、焼きもろこし、わたあめにベビーカステラ……
どうでも良いことだが、たこ焼きなるものはアルバイト先で食べ飽きているのではないのか?
あれだけ毎日のように食べているというのに、まだこんなところでも欲しがるとは。
そういえば、シンは家にもたこ焼き器なるものを所持しているらしいが、
若しかして、シンは関西の生まれではないのか?
以前にも、そんなことを訝しがって問い詰めたことがあったが、
シンは生まれも育ちも今の家らしく、関西には観光ですら立ち寄ったことがないらしい。
全く、不思議な奴だ。
「確かに並んで待つのって疲れますけど、待ってる間にこうして色んな物を食べる
っていうのも初詣の醍醐味でしょ」
そう言ってわたあめを差し出すシンはどこまでも愛らしい。
こんなわたあめでなく、俺はお前を食べてしまいたい。
指先で小さなピンクの塊を掴むと触れた先がベタベタと粘る。
大体、砂糖を膨張させただけのこの菓子に何の魅力があると言うんだ。
「俺に取ったら、中身よりも外の袋のが重要なんですけどね」
どうやら、袋の表面に印刷されているのは紅白で主題歌も歌われた例の
特撮ヒーローらしい。
「でも先輩も、」
シンは、嬉しそうに掲げていた腕を不意に引っ込めると、
突然に真剣な表情を浮かべ俺の瞳を覗き込んで来た。
「出会ったばっかりの頃は世の中の全部が面白くない、みたいな顔してたけど、
今はこうして一緒に笑ったりしてくれる」
それは、シンも同じことだ。
まるでこの世の終わりのような、悲壮な表情をして、屋上に現れたあの日。
俺がこいつを守ってやらなければと、そう強く思った。
人や物に執着したことなど、それまでは一度も経験のないことだったが、
シンは、シンだけは、一目見た瞬間からもう駄目だった。
「それって少しは、俺も先輩の役に立ててるのかなって、やっぱりかなり嬉しいですよ」
じわじわと動く行列の波に乗り、一歩また一歩と少しずつ歩みを進める中で、
俺はシンの身体を強く抱き締めた。
「ちょっ、先輩……何考えて」
「大丈夫だ、誰も見ていない」
ずっと、俺がシンを守ってやっている気になっていたけれど、
本当は俺がこいつに守られていたのかも知れない。
「あっ、もうすぐ着きそうですね」
それから、どれくらいの時間が過ぎていたのだろう。
俺とシンは漸く参拝所にまで辿り着き、それぞれの願いを掛けた。
今年もどうか、シンと共に笑っていられますように。
「ねぇねぇ、先輩は何をお願いしたんですか?」
参拝所からの帰り道、シンは俺の腕を引きながらニヤニヤと悪戯っぽい笑みを零した。
「そういうものは他人に口外してはならないんじゃなかったのか」
例えそんな謂れがなくとも、こんなことをシンに向けて口にするなど、俺は御免だ。
「まぁまぁ、俺達の仲じゃないですか」
「そういう問題じゃない」
こういう時だけ、そんなことを言い出すんだ、こいつは。
「なら、シンは何をお強請りしたんだ?」
「おねだり、じゃなくてお願いです!俺は……」
途端に俯いてしまったシンは、胸に抱えていた水色の袋をぎゅっと抱き締めた。
結局自分も、言えないんじゃないか。
だが、シンの場合の俺に言えないような願いというのは、一体どういうものなのだろうか。
「俺は……剣道ですよ剣道!それより先輩、おみくじ引きましょうよ、
あっちにほら……ね?」
石の敷き詰められた参拝道の脇には、屋台のような簡素な建物が幾つか並んでおり、
その中の一つで、巫女が仕切りに御籤を勧めていた。
シンは本当に、ああいう類いの物が好きだ。
俺は余り興味は無かったが(大体、見たこともない神とかいう存在に、
俺の今年一年の運命を決められるなんて、実に不愉快だ)
シンの手前、結局引かざるを得なくなった。
それに、中で御籤を振る舞っている巫女の格好だが……至極、シンに似合いそうだった。
あんな格好をして
『先輩も、おみくじ引いていって下さい?』
等と言われようものなら、それこそ一溜まりもない。
「先輩……何考えてんですか?顔がニヤけてて気持ち悪いんですけど」
シンに脇を小突かれ、俺は渋々現実に意識を戻した。
後でそこの巫女にその衣装はどこで買えるのか聞いておこう。
2人分の金を払ってしまうと、大きな木製の筒状の物を手渡される。
これが意外と重い。
けれど、隣りで同じように筒を受け取ったシンの方は何とも無い様子でそれを振っている。
これが剣道部員の実力なのか……?
要するに、この小さな穴から細長い棒を取り出せば良いらしい。
新年早々随分と卑猥な器具を使わせるものだな、神社も。
それを、何ともないような表情で引いているシンもまた凄い。
棒の先端には、小さな数字が書き込まれていた。流石に括れは無いか。
それを巫女に手渡せば、自分に該当する籤を手渡してくれるシステムらしい。
随分と回りくどい。
けれどこれが、昔からの仕来りらしい。
「どうぞ」
そんな、面倒臭い一連の流れを経て、漸く薄平らな紙が手渡される。
面倒なばかりの行為に思えるのだが、これがまた意外なことに、
参拝の済んだ人間の殆どが、此方へ流れ込んで来るのだから不思議だ。
受け取った紙切れには『大吉』と書かれていた。
要するに『当たり』と言ったところか。
「先輩先輩、何でした?聞いて下さいよ、俺『小吉』ですよ!」
それは、つまり……どう反応すればいいんだ?
小吉だから、あまり良くなかったということだろうか。
それとも、小さいなりにも吉に属するものだから、良かったと喜んでやるべきか。
否、それより何よりまず、
「シン、それは『コキチ』じゃなくて『ショウキチ』だ」
流石は国語2の実力だな。
「え、えぇ?あ、そ……そうでしたそうでした。嫌だなァ、先輩。
それくらい俺だってとーっくに知ってましたよ。ははっ」
嘘だな、明らかに。
「そんなことより、先輩はどうだったんですか?」
「俺は、オオキチだ」
「え〜先輩、欲無さそうなのに結局そういうところで良いの引いちゃうんですよね。
オオキチなんて俺、一度も引いたことないのに」
やはり、国語2の実力、だな。
「まだまだ俺、やりたいこと一杯あるんですよ。羽子板とか凧揚げとか。
先輩そういうのやったことないでしょう?俺、こう見えても遊びの天才
なんですよ。あと福笑いとか双六とかもしたいですよね、それに」
神社を出て、旅館に戻る道すがら、シンは旅館に着いた時のように、
息を弾ませ、楽しげにそんなことを言った。
細い道の上には、俺とシン以外の姿は無く、ここがまるで2人の為だけに
作られた世界なのではないかと、錯覚するほどだった。
俺は、シンの後ろへ回り、その華奢な体を、強く、強く抱き締めた。
「また発情ですか?昨日あれだけヤッておいて」
シンも、そう嘯きながらも、腕に手を回し、その抱擁に甘んじている様子だった。
「帰ったら嫌っていうほど遊んで貰いますからね。先輩?」
「あぁ」
自分の置かれた現実から、逃れる為に計画した今回の旅行だったけれど、
どうやら現実に戻っても、シンさえいれば俺は問題ないらしい。
シンさえいれば、どんなことがあっても。