つまるところ、俺くらいのレベルまで至ると全校生徒の内からシン一人見分けるくらい
造作もないことなのだが、シンは流石に俺と目が合ったことには気付いていないらしい。
無理もない。まさか何時も掛けている眼鏡も優等生を演出する為の小道具なのだと、
シンは知る由もないのだからな。
それにしても、遠くから見ても分かる程に広く開けられた胸元。
あれだけ肌が露出しているということは下に何も身に着けていないのだろう。
厳密に言えばジャージの下に体操着を身に着けないのは校則違反に当たる訳だが
今はそんなことはどうでもいい。問題は、シンがあの真白な柔肌を全校生徒の前に
自ら晒け出しているという点だ。この件については後々に厳しく言及せねばなるまい。
自ら進んであんな格好をして誰かに襲われでもしたらどうするつもりなんだ。
……駄目だ。シンの肌が気になって読み上げるべき原稿に集中出来ん。





午前中の種目を終えて気付いたことだが、シンは男子の出場出来る種目全てに参加しているらしい。
それもその全ての競技において1位を獲得している。
クラス別の成績は無論シンの属している1年1組が首位を独走している。
剣道の大会の時でもそうだったが運動に従事している時のシンは本当に生き生きとしている。
クラウチングスタートを切る時の太腿の引き締まった筋肉の動き、艶っぽい黒髪から滴り落ちる
眩いばかりの汗の雫、クラスメイトから差し出されたスポーツタオルで汗を拭う仕種、
解けたスニーカーの靴紐を結び直す指先、大きく捲りあげた赤色のジャージの袖口から覗く白い手首。
どれもこれも、神がこの日の為に造り賜うた物であるかのように限り無く美しい。
ただ、その美しいシンの姿を独り占めに出来ない事実だけが悔やんでも悔やみ切れない訳なのだが。










「シン、昼休みはどうするんだ?」
体育大会も高校生にまでなると、観覧に来る家族の数もかなり疎らになって来る。
無論理事長を務める我が父は来賓席にしっかりと腰を据えている訳だが
一緒に昼食、という訳にもいくまい。
俺には取り立てて仲の良いクラスメイトも居ないから毎年一人で昼食を摂っていたのだが、
それを虚しいだとか淋しいだとか思ったことは一度もない。
けれど、今年はシンが居るのなら年に一度のこの一時をシンと過ごすのも悪くないと思ったのだ。

「あ、お弁当のことですか?安心して下さい、ちゃーんと先輩の分も用意してありますから」

シンはそう言っていちご柄の巾着袋を掲げて見せた。
「本当は毎年、運動会はマユと一緒にお弁当食べてたんですけど、今年からはマユの方でも
運動会に参加出来るようになったし、2回あるならその内1回くらいは先輩と2人でってのも
悪くないかなって思ったんです」
そうして生意気そうに笑って見せるシンの、左手薬指にはあの日俺が贈った指輪がしっかりと填められている。
そんな口を聞いたところで、そんな物を見せつけられては強がっているようにしか見えないのだが。
「そうか、ならお前の好意に甘えさせて貰う。昼食にはいつも頭を悩ませていたところだからな」

俺のそんな言葉を聞くなり見る見る表情を輝かせてしまう辺り、やはり子供というか、素直というか……。
俺の方もシンから良い返事が聞けてかなり喜んでいるのだということにシンは気付いているのだろうか。
どちらにせよ、そんなシンが可愛くて仕方なくてこれ程までにも深みに嵌まってしまっている訳なのだが。

「屋上で……っていうとなんかいつもと変わんなくなっちゃうから、やっぱりグラウンドで食べましょうか?
俺、シート持って来たんですよ。こないだの『月刊TOKUSATSU』についてた伝説の『スレテンジャー』マットですよ。
すごくレアじゃないですか?コレ俺たちが生まれる10年以上前の作品だし、赤のクツズレンジャーなんて
めちゃくちゃ人気だったって聞くし」

……どうやらまた、得意の特撮談義が始まったらしい。シンについては欠点など一つも見当たらないと
思っていたのだが強いて上げるならば特撮の話になるとなかなか現実に戻って来られなくなる点だろう。
現代の高校生で『ズレテンジャー』なるものを知っているのは俺とシンくらいのものだろう。
無論、俺はシンから嫌と言うほどレクチャーを受けて漸く覚えるに至った訳だが。

「先輩先輩、早く中見て下さいよ。こないだ、先輩ってサバの煮付けが好きだって言ってたじゃないですか。
だから俺、朝早く起きて頑張っちゃったんですよ」
隣りからシンに促され、『ズレテンジャーシート』に腰を下ろした俺はゆっくりと小振りの弁当箱のフタを開いてみた。
無論、この弁当箱も前回同様シンのコレクションの内の一つなのだろうが、
それに触れると話が長くなりそうなので敢えて触れずにおいた。
それは扨置き、確かにシンの言う通り弁当箱の中は俺好みの純和風でしっかりと作り込まれている。
形のいい出汁巻きに好物のサバの煮付け、ご飯は憧れの日の丸に誂えてある。
文献などで読んだことはあったがまさか日の丸弁当の実物をこの手に出来る日が来ようとは。





「えへへ、いい感じでしょう?あとは魔法ビンに味噌汁も用意して来ましたよ」
……魔法ビン?シンの特撮好きについては理解していたつもりだったが魔法少女系も範疇だったのか。
それにしてもどんなファンシーなアイテムが登場するのかと思いきや取り出されたのは至って普通の
シルバー色の水筒じゃないか。

「これが……魔法ビン、か?」
「……そうですけど?」

これは一体何という番組に登場した代物なんだ?武器か防具か或いは変身道具、通信機器?
だが、シンは確かこれに味噌汁を入れて来たのだと言ってはいなかったか?



「どの辺りが魔法、なんだ?」
「どの辺りって……時間が経っても冷めないとこらへんじゃないですか?」

答えの見えない疑問点が次々と浮かび上がる俺を余所にシンはきょとん、とした顔で俺を見つめている。
俺は何かおかしなことを言っているだろうか。
「先輩って、やっぱ変なトコ世間知らずですよね。最近は魔法ビンってあんまし言わなくなった
かもしれないですけど……どの家にも一本はあるでしょ、こういうの。……はい、ビンから出したら
魔法も解けちゃいますから、冷めない内に飲んで下さい」

そういってシンが差し出したプラスチック製の容器からは白い湯気が濛々と上がっている。
家では食事の主導権……否、家庭においての権限を全て父が握っている。
だから洋食好きの父の手前、味噌汁にありつけることも滅多にないのだ。
無論、我が家に魔法ビンなるものも存在しない。
幼い頃は学校の行事となると必ず給仕がついて来ていたし、大きくなるとたいていのものは
その場で買って済ませていた。普通の家庭なら家族で行楽、なんて場面で使うのだろうが
俺の記憶する限り家族でそういうものを行った記憶は一度もない。
家には父と二人切りであったし、その父すら留守がちにしていたのだから叶うはずのない望みだったのだが、
別段そんなことをして欲しいと望んだこともなかった。
家族仲良くピクニック、なんて集団帰属意識の強い馬鹿な人間の起こす下らない行動だと思っていたのだ。





だが、こうして今シンと向かい合い下手なままごとのようなことをするのは案外悪いもの
ではない。嬉しそうに弁当を広げるシン、それを口にして「美味しい」と素直に感想を言
う自分。本当はずっと、こんな環境を求めていたのかもしれない。ただ、手に入れられる
はずがないのだと諦めてそう望まないようにと、自分に言い聞かせていたのかも知れない。
「――ね、先輩」
薄紅色の梅干しを口に運びながら笑顔で首を傾げて見せるシンに、俺は暫し沈黙という時
間を与えてしまった。どうやら下らない考えに耽ってシンの話を聞き逃してしまっていたらしい。
「すまない、何の話をしていたんだ?」
「えぇっ、聞いてなかったんですか。ウンウンってもっともらしく頷いてたのに…だから、
午後イチの種目は騎馬戦ですねって話です」
「あ、あぁ……そうだったな」
よくよく見てみればシンの足許には端の擦れた大会プログラムが広げられている。
確かに、午後の最初の競技は騎馬戦の予定になっている。
「だが、その前にお前には仕事があっただろう?」
「あぁ……アレですか」
午後の始めには我が校伝統の紅白応援合戦なるものがあるのだ。
各競技の白熱した展開もなかなかの見事であるが、
この応援合戦というのも毎年大いに盛り上がる体育大会の目玉企画であったりする。

「俺も出る」
そして、今年入学して来たシンは知らなくて当然だが、俺はこの応援合戦には
中学部の頃から毎年欠かさず参加しているのだ。
「えぇっ、そうだったんですか?俺も出るのに……なら午後は早速対決じゃないですか。
敵同士が仲良くお昼ゴハンなんていいんですかね?なんか士気下がるなァ」
そう言い出すだろうと思ったから、今日まで伏せておいたのだ。こう言うと俺がシンとの
昼食を相当楽しみにしていたように聞こえるが……否、そうなのかもしれない。実際的に。



「今はひとまず休戦だ。俺としてはお前と敵対するなど喩え学校行事だとしても
御免被りたいんだがな」
「なに甘っちょろいこと言ってんですか。戦いに馴れ合いは禁物なんですよ。
スポーツってのはどんなものでも真剣勝負、俺との直接対決だからって
手を抜いたりしないで下さいよ?そんなの全然嬉しくないんだから」

シンがそう言うであろうことも重々承知していた。
だが、俺がシンと戦うなど到底無理な話なのだ。
シンの方はそんな様子は微塵も感じさせないのだが。
「あ、そういえば先輩。白組は衣装何着るんですか?赤組は長ラン赤ハチマキですよ。
まぁ定番と言えば定番なんですけど……団長がこれだけは譲れないって言うもんで」
「白組は見てのお楽しみだ」
楽しめるかどうか、は扨置いて、だが。
「えぇ、そんなの勿体ぶらないで下さいよ。どうせ白ランとかなんでしょ?」
「どうだかな」





シンお手製のサバの煮付け(美味)を堪能した後はすぐにそれぞれの陣地に別れて
応援合戦の準備に掛かった。そもそも、学園を代表する団長を擁する赤組に
白組が正攻法で行って勝てるはずがない。
だからここはアイデア勝負に掛けるしかない、
というのは少し言い訳めいて聞こえてしまうだろうか。

「勝つのは赤だ!いいな、こっからは私達が組を代表して
グラウンドを真赤に染めてやるんだ、しっかりついて来い!」
いつの間にか、皆と同じ長ラン姿で本部に姿を表せたのは他でもない応援団長であり、
生徒会長でもあるルナマリア・ホークその人だった。



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