センターオブジ試験



「トッパ」だとか、「ウカール」だとか、ちょっとコンビニに寄り道するだけでも
そういう言葉をやたらと目にする季節になった。

要するに受験生の験担ぎ、ってやつ。
藁にも縋る、とはよく言ったものだけど21世紀の受験生達も例に漏れず、
スナック菓子にも縋っている……らしい。










センター試験が目の前にまで迫っている。
我が零進高校ではエスカレーター式に系列大学に進学する生徒がほとんどだから、
テレビで騒がれているほどに切羽詰まった雰囲気は漂っていない。
むしろ誰が3年生か見分けがつかないくらいに、校内は相変わらずの和やかな空気を保っている。
それがうちの高校の売りだったりするんだけど、
三年間ずっと緊張感のない学園生活ってのは、なんとなく惰性で生きてしまうところがあって、
部活とかバイトをしていない生徒はどこか気の抜けた毎日を送り続けている。





けれど、何時だって例外はある。





俺の一番身近で、一番遠く感じる存在。



レイ先輩はザフト大学を目指している。



ザフト大学って言ったら東京の超一流大学だろ?
家を出るのは確実、ここから会いに行くなら片道どれくらい掛かるだろう?
考えただけで気が遠くなりそうだ。





分かってはいた。
ずっとこのままでは居られないってこと。
でもこんなに早くそれが現実になってしまうなんて。
今ですら、こんなに忙しい先輩は、大学に進学すればきっと、もっと忙しくなる。
そんな状態で、俺との関係を保ち続けてくれるのだろうか?





最近、こんなことばかりを考えてしまう自分が情けない。
先輩はめちゃくちゃ頑張ってるのに。大好きな剣道にすら身が入らないなんて。
こんな時こそ頑張らなくちゃいけないのに。雑念ばかりが頭を過ぎる。
いつ別れ話を切り出されるだろうと、このところ毎日気が気じゃない。





ねぇ、先輩。俺たちの物語はハッピーエンドじゃなかったんですか?















「いいよなぁ、お前らはいつも一緒でさ」
昼休み、ヴィーノとヨウランを目の前に食堂のAランチを食べていると
何だか無性に八つ当たりたくなった。
ヴィーノが注文したオムライスをヴィーノのスプーンで、ヨウランの口へと運ぶ。
全く、「あーん、」なんて言っちゃってさ。
コイツらは本当にところ構わずイチャイチャと。
校内だってこと忘れてないか?





ヴィーノはそういう噂話とか全く気にしないみたいだし、
ヨウランはヨウランでヴィーノに変な虫が寄り付かなくなって都合が良い、なんて言ってる。
二人とも男女問わずモテるからな。
って、何で俺の周りはこんな奴ばっかりなんだよ。





「シンだって、俺らから見たらいっつも生徒会長と一緒に居るように見えるけど?」
「はぁ?」
どこがだよ。俺がいつレイ先輩と一緒に居たよ。
前に会ったのが何時だったか思い出せなくなりそうなくらい、もう暫くレイ先輩には会っていない。



「うーん、そういう意味とはちょっと違くてさ、
誰にも懐かなそうなシンがそんだけ慕う相手ができたってのが意外だったんだよ」



それを言ったら、今こうしてお前たちと顔を突き合わせて
昼食ってることだって、俺にとっては奇跡のようなもんだ。
ここへ入学したとき、友達なんて一人もできないだろうと諦めていたのに、
いきなりレイ先輩と知り合っちゃったし。
その後も何故かすぐにこいつらと仲良くなっちゃったし。
本当、大きな誤算だったよ。





「お前、口を開けば“レイ先輩”だもんな」
そんなつもり、ないんだけど。
俺がいつ、お前らにレイ先輩の話なんかしたんだよ?





いや、したか?





うーん、考えてみれば少しくらいはしたかも知れない。
けど別に、それくらい良いだろ?他に話す相手なんかいない訳だし。
ヴィーノとヨウランにしか、こんな話できないし。



「別に悪い意味じゃないよ。そういう相手が居るってやっぱり幸せなことじゃん」
こういう、ヴィーノの素直な性格が時々羨ましくて仕方なくなる。
俺もこんな風に先輩に甘えられたら、みんなに笑顔で接することができたら、
もっと変わっていたのかな、って。



けど、ヴィーノの言うことには少し、同意できるかも知れない。
俺、きっと……レイ先輩が居なかったら学校なんて全然詰まらなかったかも。
途中でリタイア、なんてことも有り得る。










俺には剣道があるし、マユも……ヴィーノとかヨウランも居るけど、
俺の中で先輩の存在は大きすぎるくらい、物凄く大切だから。
どんなに辛くても、頑張ろうって思えたのは先輩のお陰なんだ。
って、こういう気持ちを素直に、直接、先輩に伝えられたらいいのに。



「そんなに寂しいならちょっとくらい駄々捏ねたって良いと思うけど?
好きな相手に甘えられて嬉しくない男なんていないんじゃない?」
甘える、か。それこそヴィーノなら、そういうの上手くやりそうだけど、俺には無理だ。

想像しただけでも、もう。

第一、先輩のこと困らせたくないし、俺のことなんか放って、頑張って欲しいし。
でも、やっぱり、寂しい……のかな?















部活を終えて、道場を出たところで生徒会室の窓をそっと見上げてみた。
まだ明かりは点いているけれど、そこに先輩はいない。
少し前にあった生徒会選挙をもって、先輩は生徒会を引退してしまって、
今でもたまに顔は覗かせているようだけれど、
会長職は既に後輩、つまり俺と同学年の奴に譲ってしまっている。



今は受験勉強に打ち込まなきゃいけない時期だし、
そんなことをしてる場合じゃないっていうのも分かってるけれど、
ここから見上げた先に、先輩が居ないっていうのはやっぱりすごく寂しい。










「おかえり、シン。今日の夕飯は父さん特製ラグーのパルバデッレだぞ」
美味しそうな匂いを前にしても、食欲が湧いて来ない。
「ごめん、後で食べる」
ものすごく寂しい気分なのに、何故か一人になりたくなってしまう。
どうしてだろう。

部屋に戻ったって、先輩のことばかり考えてしまうだけなのに……!





メール、してみようかな。
そう思って携帯を開いてみるものの、
ボタンの上に置いた指がいうことをきかない。
だいたい何の用事もないのに、なんてメールすればいいんだよ。



そうして無為な時間を過ごしていたとき、



  バクバクビビンバ〜バキバキバビンナ〜♪



突然、携帯の着信音が狭い部屋に鳴り響いた。
これは、レイ・ザ・バレル専用の……!
「ザクとは違うのだよ、ザクとはメロディー」



!!!!!



「もっ、もしもしっ」
慌てて通話ボタンを押して、携帯を持ち直そうとしたところで
床の上へ取り落としてしまいそうになる。
努めてなんでもないような声をだそうとするのだけれど、
どうしても上擦ってしまう。

俺は固く握り締めた携帯の向こう側から微かに聞こえる穏やかな息遣いに暫し耳を傾けた。



「突然電話をするなんて、迷惑な行為に及んでしまってすまない」
先輩にしてはやけに殊勝な物言いだ。
いつもならさも当然のように一方的な予定を押し付けて来て、
そのくせ自分は途中で抜け出してしまったり、
本当にろくでもない行動ばかりとっているのに、どうして今日はこんなに優しいのだろう。



「いえ、別に。どうせ暇を持て余していたところですから」
『入学してからの一年間は、特定の誰かと付き合うこともなく、
クラスの喧噪から抜け出したくなれば、教室を出てあの屋上で小説を読み耽っていた』





……あぁ、あの『母を求めて三千回』とかいう訳の分からない官能小説ね。



「……何の話ですか?」
『どちらかといえば集団での生活が苦手で、独りで居る方が性分に合っていた』
俺の質問は華麗にスルーされ、先輩の話が続けられる。
先輩らしいといえば先輩らしいけれど、発する言葉に覇気がない。
どこか淋しげで要すがおかしい。





『たったの数日お前の顔を見られないだけで、お前の声を聞けないだけで、気が狂いそうだ』
「……っ」










いつだって、俺がどんなに恋しい思いをしていたって涼しい顔をして、
顔色一つ変えやしないから、こんなにも会いたくて会いたくて
堪らないのは俺だけなんだと思っていた。

いくら俺が甘えたくても、先輩は今後の人生に大きく関わる試験を控えている訳だし、
そんな大事な時期に俺が我が儘を言える訳がない。





会いたい、

会いたいです、先輩。





『……会いたい』
俺の心の声が受話器を通じて耳へ跳ね返って来たのかと錯覚してしまうほど、
俺がそう思ったのと同時に小さな携帯を通じて先輩の声が耳へ飛び込んで来た。
先輩が、先輩が……俺を求めてくれてる?
「俺も……」










たった3文字の言葉を発するのがやっとで、それ以上は何も言えなくて、
ただこの携帯電話の向こう側が先輩と繋がっているんだと思ったら、
ずっと、永遠にこの電話を切りたくない。そんな想いが胸の奥に芽生えて、
耳に押し当てたそれを両手でギュッと握り締めた。

『時間も時間なんだが……』

少しだけ、今から会えないか。



その言葉を聞いた瞬間、俺はハンガーから奪い取るようにして
1枚しか持ち合わせのないコートを手に小さな部屋を飛び出した。
靴を引っ掛けて、玄関のドアを開いた瞬間に、
待ち合わせ場所を確認していないことに気が付いて外に足を踏み出しながら、
携帯のディスプレイを開いたけれど、そんなものは必要なかった。





「……シン」





目の前にあるその光景が、現実のものだと理解が出来なくて俺は思わずその場に立ち尽くした。
「先、輩……?」
だって、ついさっきまでコレで話していたはずなのに。
「家の前から掛けていた。すまない、驚かせるつもりはなかったんだが、
考える前に足が勝手に動いていて、少しだけ……お前の時間を俺に貸して欲しい」



よろこんでー!



なんて、思わず叫びだしてしまいそうな心境だった。
だって、まさかこんなに早く会えるなんて、思ってもみなかったのに、
先輩の方から一緒に過ごそうと言ってくれている。
学校とか剣道とか家事とか、そんなの全部どうでもよくなってしまうくらいに、嬉しくて堪らなかった。










「どこ、行くんですか?」
それから先輩は無言で俺の手を引いて、駅までの道を少し大きめの歩幅で歩いて、
230円区間の切符を二枚買ってその内の一枚を俺に手渡した。
「車を寄越してもよかったんだが、他人の力を借りてしまったら格好が付かないだろう」
真夜中の電車は、こんな時間だというのに仕事帰りのサラリーマンやOLや、
アルバイト帰りの学生たちがたくさん乗り合わせていて、誰もがみんな疲れた表情をしている。
その一人に先輩も含まれていて、疲れ切った横顔は見ていて痛々しかった。
考えてみれば、人生で一番勉強する時期だから、疲れるのは当然のこと。
そして、やっぱり俺にはそんな先輩の役に立てることなんて何ひとつないのだろう。





「降りるぞ」
それから、この辺りで最も大きなターミナル駅の一つ手前の駅で、
先輩に手を引かれて電車を降りた。
比較的開発の進んでいるターミナル駅周辺に比べて、
この駅の周りは住宅街ばかりで辺りには街灯がまばらに点っているくらいだ。
こんなところに、一体何があるというのだろう。
先輩の意図は全く分からなかったけれど、
明確な目標を持って前へ進む先輩を信じて、俺は全てを委ねることにした。





「こ、れ……は……っ」
目の前に広がるのは、ただただ眩いばかりの光の海だった。
真っ青に染まったそれは、まるでこの世のものとは思えない景色で、
俺は思わず言葉を詰まらせた。





「明日から始まるイルミネーション、それのテストを行っているところだ」
誰よりも早く、この景色をお前に見せてやりたかった。

先輩はそう付け加えて微かに笑って見せた。
こんな情報、どこで仕入れてくるんだか、皆目見当も付かないけれど、
忙しくて、只でさえストレスが溜まって仕方がないこの時期に、俺のために
こんなことをしてくれるなんて。

考えても、みなかった。

クリスマス当日は、一緒に過ごせないけれど、そんなの関係ない。
俺はただこうして、俺が先輩のことを大好きで、先輩が俺を想ってくれている。
その事実があるだけで、十分なんだ。










「今年のクリスマスは一緒に過ごせないが、来年・再来年・その先も、
ずっとお前と一緒に過ごしたいと思っている」
そう言って、先輩は小さな箱を取り出した。



「少し早いが……メリークリスマス」
先輩がそんな俗っぽい台詞を吐く姿は、なんとなく可笑しかったけれど、
俺はそんな笑顔を前に、何故か泣き出してしまいそうになっていた。
嬉しくて、嬉しくて堪らない。
長い間会えなかった分、先輩がこうして目の前で笑っていてくれるだけで、
この上なく、幸せで……。

「っ、コレは……?」










箱の中には、深紅のリボンが結わえられた良く見かける形の銀色の鍵が納まっていた。





「俺が引っ越す先の、マンションの鍵だ。一緒に住むことはまだ叶わないだろう。
お前には、お前の家とお前の生活がある。だからこれは、お前の二つ目の家、
そう思ってくれたらいい。何時来てくれても構わない。
そしてお前が高校を卒業して、生活が落ち着いたら……一緒に住もう」

「……っ、先輩ッ」















それから、先輩は思い切り俺の身体を抱き締めて、誰も居ない住宅街の片隅で、
溶けるようなキスをした。

こんなことを言ったら、気が早いなんて笑われてしまいそうだけれど、
来年のクリスマスは小さなツリーを持って、先輩の部屋に行こう。
その次も、その次も、一緒に二人でケーキを食べたり、俺が二十歳になったら、
一緒にシャンパン飲んだりして……。



だから先輩、どうか頑張って下さい。
俺も、頑張りますから。
次に会うときは、笑顔で「おめでとうございます」って言わせて下さいね。















大切な試験まで、あと少し。
頑張って。
大好きな、俺の先輩。















END